「生き抜けよ」




 tangoleo(タンゴレオ)さんの死に急ぐ思いと、岩崎航さんの生き抜くという思いによせて、何がその違いを生み出したのか考えてみました。

令和2年10月4日

「生き抜けよ」

10月になり、あの9月中旬まで続いた灼熱の夏が、遠い昔の出来事と思わせるような穏やかな日々が戻ってきました。もうすぐ紅葉の季節が始まり、冬の足音が聞こえてきます。自然は神の摂理に従って何事もなかったように季節の移ろいを繰り返します。にもかかわらず、私たちは、新型コロナウイルス感染症が強いる恐怖に怯え、つい先日までは考えもしなかったような生活を送っています。ある幼児教育教材を販売する会社の新製品情報のパンフレットが職場に置いてありました。そこには二人の幼児が向かい合い遊んである写真が掲載されていましたが、その幼児たちは帽子と一体となったフェースガードをつけているのです。この会社は帽子にフェースガードをつけ、子供たちが自然に装着できるようにしたことで売り込みを図ろうとしているのです。このような帽子をかぶった幼児たちが遊ぶ光景を私たちはどのように受け止めたらいいのでしょうか。

ある女性は一昨年の4月からTwitterを始めました。その最初の投稿は簡単な自己紹介でした。

2018年4月24日

はじめまして。tangoleo(タンゴレオ)です。ALSを発症して7年になります。この度、勇気を出してツイッター始めました。海外で安楽死を受けるため始動します!色々乗り越えなくてはならない壁がありますが、挑戦しようと思います!!

#tangoleochallenge  #ALS  #安楽死  #尊厳死


彼女は昨年の11月二人の医師に命を奪われました。それはTwitterを始めてからわずか1年7か月後のことでした。そのわずかな期間、彼女は病のために不自由になった体と向き合い、死を望む思いを投稿し続けました。

同時に初めたブログではこんな投稿をしています。

2018-05-03 16:08:46

テーマ:難病

最近唾液が飲み込めず、1日中むせて咳き込んでる。

すごく辛い。早く楽になりたい。

なぜこんなにしんどい思いをしてまで生きていないといけないのか、私には分からない。

どうしても分からない。咳き込みと吸引とで1日が過ぎる。

助からないと分かっているなら、どうすることも出来ないなら、本人の意識がはっきりしていて意思を明確に示せるなら、安楽死を認めるべきだ。せめてこんな身体で苦労して海外まで行く

のだから安楽死を受けることぐらい許して欲しい。付添い人が自殺幇助罪に当たるなんて言うな!

彼女は初めスイスに渡航し安楽死をしたいと願っていました。しかし同行する介助者が自殺ほう助になるのではないかという危惧からそれを諦めます。そしてこの国でも安楽死を認めてほしいと訴えるのです。


ホスピスケアーをしている医師の投稿(以下の引用ツイート)にこう答えています。

2019年1月30日

苦痛の緩和ではなく「死の権利」なら #安楽死 も認めて欲しい。 望まないのにこんな体で無理やり生かされてるのは人権の侵害だと考えます 

引用ツイート

 · 2019年1月29日

安楽死も鎮静も、苦痛の緩和とみるのではなく、「死の権利」として考えるのが、最近の兆候なのだと知って欲しい。そのように考えるのは自然なことで、患者の人権も尊重されるようになってくれば来るほど、死の権利も尊重されるのです。

また次のような投稿がつづきます。

2019年1月31日

患者( #ALS )からの意見です

鎮静と #安楽死 は異なるものだと考えます

鎮静は医療的ケアを、安楽死は人権問題を基盤にしたものだと思います

鎮静は死に際の苦痛を緩和するものであり、安楽死は患者の疾患も含め人間らしい生活(人権)を送れていれてない際に死を選ぶ権利であると思います


2019年6月7日

まさにそう、なぜ人間の最重要課題である死について考えようとしないのか?なぜ延命ばかり重んじるのか?ある状態になった人間はもはや人間でないのだから苦しまずに死ぬ権利を与えて欲しい。 #ALS


2019年8月22日

色んなとこが痛いし唾液は溢れるし、、、 一番の理由は勿論身体的なことだけど、昨今の国際情勢や地球環境、異常気象を見てるだけで「もういいよっ!」ってなる。勝手だけど「死なせてくれーー!」朝から心の中で叫んでる

·

自身の安楽死への願いが周囲に理解されないことの苛立ち、進行する病への苛立ちと苦しみそして諦め、さまざまな思いが重なり、悲痛な叫びとなって繰り返されます。


でも、また、一方、このような投稿もあります。

 


2018年12月13日

海は大好き 海につかると体も心もキレイさっぱり浄化されて気持ち良くってしょうがない 心身の汚れが洗い流される 反対に森は英気を養ってくれる エネルギーを充填してくれる 体の中に力がみなぎってゆくのがわかる どちらも不思議な力をもってる 行きたいなぁー


2018年12月13日

凄いなー 私もサーフィン下手だけど大好きだった。 父に車椅子を押してもらって行ったカフェでサーフィンの映像が流れててもうできないと思うと泣けて仕方なかったの思い出すなぁ。病気が憎くて。 でも一度も着ることのなかったフルオーダーのウェットスーツはもしもの未来の為に取ってある。 


無理やり生かされていることを人権の侵害であると言い、安楽死を求めながらも でも、また、一方、自らの命をいとおしみ、生きたいという未来への希望を抱いているのです。


最後の投稿は 

2019年11月28日

人生会議。私の母は喉から進行するタイプのALSで今年の7月に約3年の闘病生活の末他界した。家族で話し合い母の意見を尊重して“人工呼吸器はつけない。延命はしない”という結論が出た。人生はその人のものだから私のの気持ちで動かせなかった。まだモヤモヤしている。エンディングノートでいいんでは?


という投稿への次のような返信でした。

2019年11月29日

お母さまの意志を尊重されたのは良かったと私は思います


それは死のわずか1日前のことです。そこには穏やかにやさしく未知の投稿者に寄り添う思いが、簡潔に、明確に示されています。同時に「良かった」と言い切る言葉の奥に、同情や憐れみを超えた深い悲しみへの共感が込められているように思います。それは自身への「良かったね」という語りかけでもあったのです。この時、彼女は明日医師が来ることを待っていたのです。


彼女がどのような思いで2人の医師による殺害を受け入れたのか。その時安心して目をとじたのか、いささかは後悔の念を感じながら旅だったのか。その疑問は解けません。


2人の医師が逮捕されたという報道のあった翌日一人の詩人がこのような詩をTwitterに投稿しました。


「貧しい発想」

管をつけてまで

寝たきりになってまで

そこまでして生きていても

しかたがないだろ?

という貧しい発想を押しつけるのは

やめてくれないか

管をつけると

寝たきりになると

生きているのがすまないような

世の中こそが

重い病に罹っている


彼の父上はかつて市議会議員をなさっていて、障害者の福祉や保健医療環境の充実を行政当局に求め続けた方でした。失礼な物言いかもしれませんが議会でのその執拗ともいうべき追及は、当局を振るいあがらせるものでした。私は20年ほど前障害保健福祉行政を担当し、父上と多くの論戦を交わしてきました。氏の指摘はことごとく正論でありその論戦を通して行政対応の不足を補い、新しい政策を実現してきました。また僭越な言い方が重なりますが、どうにか一歩でも障害者の生活を改善したいという私の思いは氏の思いと重なり、鋭い追及に積極的の答えることで行政を動かしてきたのです。私にとっては論戦の相手ではありましたが、盟友でありともに戦う戦友でもありました。


その父上から紹介されたご子息が航さんでした。本名は稔さんと言います。彼は3歳のころから進行性筋ジストロフィーを発症し、現在は確か44歳ですが、全身の介護を受けながら詩人として活躍しています。彼の第一詩集「点滴ポールー生き抜くという旗印」の題ともなっている作品は2004年に作成された次のようなものです。

「旗印」

(2004/11/14)

点滴ポールに

経管食

生き抜くと

いう

旗印。


彼がどのようにしてこのような心を描くことができるようになったのか。死を願うのではなく、生きることを願うようになったのか。絶望の淵に立ちながらなぜ。


ある投稿で「赤毛のアン」の次の言葉を素晴らしいと言っています。

『赤毛のアン』(村岡花子訳・新潮文庫)初巻を読んだ。曲がり角の喩え、最終章の言葉がすばらしい。/「自分の未来はまっすぐにのびた道のように思えたのよ。いつもさきまで、ずっと見とおせる気がしたの。ところがいま曲り角にきたのよ。曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの」「その道がどんなふうにのびているかわからないけれど、どんな光と影があるのか──どんな景色がひろがっているのか──どんな新しい美しさや曲り角や、丘や谷が、そのさきにあるのか、それはわからないの」(第38章より)(2018/2/20)


癒されることのない病の渦中にあっても、生きていれば、生きることの先にきっと新しい景色を見ることが出来るのだ、どのような景色かはその先に行ってみなければわからないではないか、ならばこそ、その先にいってみるのだ。絶望の中で見えたものは、その何かが見えるに違いないという確信、心の底、深遠ともいえるその場所にある思いなのだ。生は絶望によって終わらせるものではない。その先を見るためにあるのだ。という使命感。生きることに対する責任感と言えるかもしれません。


彼の生き抜くという思いは、彼には寄り添う人がいることへの気づきから生まれたとも言えます。

「地図」

(2019/9/16)

途方に暮れながら

進む 

伴走者はいる

手探りしながら 

生きるための地図を描く


一人ではなく。自分の生を支え、あの曲がり角の先を一緒にウキウキしながら見ようとしてくれる人がいる、そのことが彼の生き抜くという思いの源になっているのだと思うのです。


このような詩もあります。

「薬」

(2027/12/21)

辛かったら

いつでも叫ぶんだよ

薬みたいな

言葉

いや、薬だね


この声の主は母上か父上か。もっとも身近な方が、彼の命を苦しみから救ってくれている、その思いが生き抜くという強い意志を生み出しているのです。きっと伴走者はご両親だけではないでしょう。学校生活や、闘病生活の中で知りあい、彼の姿を見、彼の言葉に心を動かされたたくさんの友人、介護を支える支援者たちがいるに違いないのです。私はFacebookでフォローしていますが、彼は、ほかにも Twitter(2009から)、Instagram Blog(2001から) 等多様なSNSを、長いものは20年近く利用していて、たくさんのフォロワーを持っています。彼の投稿に対する多くの返信、シェアー、リツイート等も彼の生き抜くという思いの支援者になっているのかもしれません。


果てしない苦悩の中で彼が見つけたのは他者であった。他者とは、自己と対立する存在であり、自分からは理解不能であり、他者からは自分もまた理解不能な存在である。しかし彼にとっては、他者は彼を見守り、寄り添い、彼の不自由を補ってくれる存在である。彼の命、生は他者なしには存在できないのである。その他者との関係に、関係性のゆえ、そこに生きる意味を、生き抜くという意味を見出したに違いないと思うのです。

 そこには社会的存在としての人間の他者との関係性とは何かという問いかけに答える、根源的な他者との関係性、他者なしには生きえないという関係性が顕在化していると言えるように思うのです。


安楽死を求めた彼女も他者との関係を求めていました。こんなにやり取りがあります。

Twitterでの「お前みたいの 死ね と 何度も言われたし ツライ」という投稿に、「なんて言葉をかければいいのか分からないけれど、「ツライ」、、、分かります」と返信をします。すると投稿者から「わかってもらえるだけでも嬉しいです」という返事がきます。

彼女は、その返事を受けてこうツイートしています。


2018年6月1日

私達は弱い立場だけど、ここで位は不満や愚痴、どんどん言っても良いと思います。分かり合える人が居るだけで救われます。そうでもしないと心壊れてしまいます。


またBlogではこう述べています。


自分というもの

2019-03-28 21:17:33

テーマ:ブログ

訪問入浴で服を着せてもらってる時ふと思った


「自分では何ひとつ自分のこともできず、私はいったい何をもって自分という人間の個を守っているんだろう?」

それは人とのコミュニケーションによって守られているに違いない。.ブログやツイッターで発信することもそうだ。


また、SNSをはじめた理由をこう投稿しています。

「分かり合える」って心が軽くなる

2018-06-24 21:32:08

テーマ:ALS

(ヘルパーからの)ある患者さんの話だった。その女性はまだ若いが脳性麻痺で生まれてからずっと病気と闘ってきた。彼女は言葉を発音するのが困難なようで、たまにしか気持ちを言葉として表現できないらしい。私は話せないが文字盤というものを使ってコミュニケーションを取ることが出来る。彼女はそんなツールさえ持っていないらしい。

―中略―

ちょうどその頃、安楽死への希望に諦めかけていて、死ねないのなら何か人の役に立てないだろうか?と思うようになった。通信手段もあるし彼女のように意思伝達手段を持たない人達の代弁者になって、不平不満を吐きまくりどこかで誰かが「わかる!」と喜んでくれたら良いな、同時にみんなが何かしらの意思伝達手段が持てるようになるべきだと思った。


病と一人で向き合い、孤立が深まる中で、彼女は他者と繋がり、自分の意思表示をしたい。そして誰かに「分かる」と言って欲しいという思いからSNSを始めたのです。それは不自由な体を抱えながらも、自分はここにいて、このような意志を持ち、生きているのだという、自分の存在証明を得るために、また自分の意志をSNS を通して伝えることで、他者からの存在の承認を得るための発信でした。それは死ぬことではなく、生きてSNSで発信したいという、安楽死とは逆の意志を表しているようにも思えるのです。


一人はALS,一人は進行性筋ジストロフィーという、どちらも体の不自由を抱えながら、一人は死ぬことも求め。結局二人の医師によって命を絶たれ、一人は生き抜くという固い決意を持ち、多くの人に支えられながら詩を書き続けています。


ここで思うのです。

航さんは3歳で発症し40年以上病とともにあります。一方彼女は医師に病名を告げられてから7年たち、51歳で命を絶たれました。生い立ちや境遇の違いは大きく、命、生との向き合い方も当然異なります。ただ航さんの生き様を見ると、彼女は、2人の医師と出会うことなく、苦しみながらも、またたとえ安楽死を望みながらでも生きていれば、SNS を通してたくさんの支援者と出会うことが出来たのではないか。そして自分の意志を発信することが生きる支えとなり、生き抜くことが出来たのではないかと。

「でも一度も着ることのなかったフルオーダーのウェットスーツはもしもの未来の為に取ってある。」

彼女のこの切ない思いには誰でもが涙するのではいないかと思います。ここで彼女が抱く「もしもの未来」はきっと来ないでしょう。でも誰かに「分かる」といわれる、SNSの投稿にたくさんの「いいね」をもらえる未来はすぐそこにあるに違いなかったのです。


神はなぜこのような苦悩を私たちに強いるのか、なぜ絶望の淵に立たせるのか。そして死と向き合わせるのか。


ローマ人への手紙5章 3節から5節

それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、

忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。

そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。


私たちには、聖書のこのような言葉が与えられています。

ローマ帝国の苛烈な弾圧のもと、いつ投獄され殺されても仕方がないという状況の中、パウロはこう述べるのです。

ただ、今まさに病の中にある方にこの言葉を投げかけるのは過酷だと思います。

でも航さんは先の詩集でこう書いています。

「僕は、自分で自分の命を絶とうと思ったことがある。十七歳のときだった。前途には何の希望もないように思えた。家人のいない、ある午後、目の前にナイフがあった。これですべてが楽になるのかなあと、ふと考えた。涙が止めどなく溢れた。」と絶望のあまり死を求めたことを明かます。しかし「終わりの見えない、地獄のような苦しみの中で、生きていく意志を見いだせたのは、そばで支えてくれる人の存在でした。」と記した後、「僕の苦しみを自分の苦しみとして、そこにいてくれる人の存在。そう思うと、ポロポロと涙がこぼれてきた。「お母さん、ありがとう。僕は、がんばるから」震えながら、背中の母にそう言った。」と記し、母上が生き抜くという彼の姿勢を生み出し、支えてくれたことを述懐します。

この体験が「患難がいつか希望を生む」という言葉にふさわしいなどと私から簡単言うことはできません。推し量ることばを紡ぎだすことが出来ないような深い心の葛藤と煩悶がこのような事実を生み出したのだと思います。

しかしこの「患難が希望に」という言葉を今、この時、この時代に信じようとするならば、この航さんの言葉は明らかにその証になっているように思うのです。そしてはじめは母上に気づかされた「生き抜くという希望」が、今は 先の述べたような多くの友人や支援者によって支えられているのだと思うのです。


私たちは次の言葉も知っています。

マタイによる福音書 22章 37節~39節

イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。

これがいちばん大切な、第一のいましめである。

第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。


母上にとって隣り人は航さんでした。こう言いきるのは不遜かもしれません。しかし母上の「航さんに生きていて欲しい」という願いがあったからこそ彼は絶望の淵、死の淵から逃れ得たに違いないのです。今、彼はSNSや詩集、公の場で、同じ病にある人々、それだけではなく、生きづらさを感じている人々や、悲嘆や苦悩のゆえに死の淵に立とうとしている人々に「生きよ」「生き抜けよ」と語り続けているのです。はじめは多くの友人や支援者にとっては彼が「隣り人」だったかもしれません。でも今は彼の言葉を聞く多くの人々が彼の「隣り人」となっているのです。


ヨブ記7章15節・16節

それゆえ、わたしは息の止まることを願い、/わが骨よりもむしろ死を選ぶ。

わたしは命をいとう。わたしは長く生きることを望まない。わたしに構わないでください。わたしの日は息にすぎないのだから


家族も財産もすべてを失い、自らも重い病に侵されたヨブはこう叫びます。と同時にすべてが神のなさる業であることを知っていました。


ヨブ記 30章 22節・23節

あなたはわたしを揚げて風の上に乗せ、/大風のうなり声の中に、もませられる。

わたしは知っている、あなたはわたしを死に帰らせ、/すべての生き物の集まる家に帰らせられることを。


ヨブは自ら命を絶つことはせず、死は神から下さられるものであること、神によってのみそこに帰せられることであると信じて、生き抜いていくのです。


死に急いだ女性、生き抜くという航さん、それぞれが神から与えられた命をそれぞれの思いにしたがって 一人は死に至らしめ、一人はいずれ訪れる死の時まで生き続けています。死は生きるものに与えられた宿命です、避けることはできません。


ローマ人への手紙14章 7節・8節

すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。

わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。


でも私たちは知っています。

この命は、神から与えられたものであり、私たちはただ一人で自分の命を生きているのではないことを。そして私たちの命は、神を愛するように隣り人を愛するために神が授けたものであることを、さらに神からの賜物であるこの命を神にゆだね生きていく道しかないことを。


改めて思いうのです。

死に急いだtangoleo さんが、もしSNS を始めてたった1年7か月で二人の医師と出会わずにいれば、もっとTwitterで多くの人と知り合い、フォロアーからが隣り人を愛するように「生きよ」「生き抜けよ」と語りかけられていれば、些細なことでともに笑い、ともに泣くことが出来るような友人がいれば、愛する人が苦しみから少しでも逃れられるように、必死に背中をさすっていれば・・・・と。

「そんなことはないよ、天国では患うことなく、自由に自在に体を使っていられるから。」と言い返す言葉が聞こえるかもしれませんが。

#聖書 #説教

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#岩崎航 #点滴ポールー生き抜くという旗印

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